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2008年10月22日

近頃気になること

ファーストフードにコンビニそして自販機の氾濫は 私達の生活様式を大きく変えてしまいました。(冒頭この様な書き出しですが 決して商いの上でこの三者を恨んでのことではありません)
それに伴いプラスチックや発泡スチロール それに缶や紙が大量消費されるようになっています。
これ等は何れも大量消費材であり また中には再生の出来ない素材もあります。
喩え再生されるものでありましても 使用後は捨てるという行為が伴います。
使ったら捨てるという行為は 使っては後始末を付けて次にまた使うという行為と根本的に相容れない異質なものであります。
これを繰り返して参りますと つくり出された物質に対して何の感情も持てない麻痺人間になってしまうのではないでしょうか。
例えば新聞 再生可能物として回収日に出されますが 以前はもっともっとスクラップ帖に記事を切り抜いて整理していた方が多数みえました。
新聞紙と言えば只の紙ですが 気になった記事であれば記事の内容と記事を書いた人(記者)との繋がりを簡単には捨て切れないと思うのです。
氾濫するメールによる情報など 狼少年にもなり兼ねない状況です。
捨てる文化は 創る文化にも影響します。
どうせ捨てられるのだからという気持ちが働いて 安易につくってしまうのです。
前段が長くなってしまいましたが もしも使い捨ての容器で食事をされているのでしたら せめて食事時には器に盛り付け直して 召し上がって戴きたいのです。
この機会にもう一度陶器の食器を見直して戴きたくて クドクド書いています。

それともう一つは 近年私共の業界でも中国製品の占める割合が年々増え(どれくらいのシェアーなのか不勉強で申し訳ありません) 材質を問わず家庭用品のカタログを見れば どの範疇のカタログも半数近く(或いはそれ以上か)が中国製品となっています。
私達はこのメーカーカタログから商品を選び品揃えをしているのですが これだけ多くなれば知らず知らずに中国製品を仕入れてしまっても致し方ない状況です。(お断りしておきますが これも中国製品を恨んでの事ではありません また中国製品を意識的に仕入れないという固い意志を持っているものでもありません これは何方にも共通の個人的な価値判断で 何処であろうが良い物は良いと素直な気持ちであります)
得てして私共の品揃えの失敗は 緊急の場合(殆ど毎日こんな状況は起こっています) 商品内容をよく検討せず カタログで安直に商品を選んでしまうことによるものです。
中国にはチョット失礼で不適切な表現かも知れませんが 私共の業界ではプライスで選ばれる中国製品に対して 日本人の繊細で豊かな感性のデザインと確かな品質で選ばれる日本製品 という棲み分けが出来つつあるように思います。
そして元の本歌は中国であった陶器ですが 中国における日本向けの家庭用品は 逆転して日本人技術者の指導による模写となっています。
日本の消費者に支持されるような 製品づくりを指導してきたのですから 近年の品質には目を見張るものがありますが それでも気に入った国内製品にひと度触れた日本人は その違いを見抜く目を持っていると同時に そうした道具と付き合うことの心地良さや豊かさを知っているはずであります。
でもこれは日本の市場においての論理であり 中国では恐らく立場は逆転することでしょう。
そんなことよりももっと危惧されていることは 一人立ちした中国製品には 国内では使われていない有鉛の顔料が 溶出される可能性のある絵付けで 出荷されることもあり得る状況で 今一層 早期の国際スタンダードの確立が叫ばれていることであります。

私はもとよりナショナリズムの信奉者ではありません。
お国事情は夫々でしょうし 何処も固有の持ち味があるのですから。
どうぞ真意をお汲み取り下さい。

投稿者 Sugino : 2008年10月22日 07:31

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